2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』第16回「覚悟の比叡山」で、ひときわ存在感を放っているのが、ドンペイさん演じる宮部継潤(みやべ けいじゅん)です。
「浅井家の忠臣」として登場し、藤吉郎(後の豊臣秀吉)の調略を受ける重要人物として描かれています。
しかし、宮部継潤という名前を聞いて「いったい何者なのか」と気になった方も多いのではないでしょうか。
この記事では、宮部継潤の生涯、豊臣秀次との養子関係、ドンペイさんが演じることになった経緯まで、わかりやすくまとめてご紹介します。
宮部継潤とはどんな武将なのか
宮部継潤は、1528年(享禄元年)に生まれ、1599年(慶長4年)に没した戦国時代から安土桃山時代の武将・大名です。
父は近江国坂田郡醒井の在地領主・土肥真舜(どい まさとし)とされています。
近江国宮部城城主、のちに但馬国豊岡城城主、因幡国鳥取城城主を歴任しました。
「中務卿法印(なかつかさきょうほういん)」という官位を持ち、晩年は豊臣秀吉の御伽衆として晩年を支えたと伝えられています。
比叡山の僧から武将に転身
宮部継潤の経歴は、戦国武将としては非常に珍しいものです。
1536年(天文5年)、まだ幼かった継潤は比叡山に登り、行栄坊という僧に師事して出家しました。
剃髪して「善祥坊(ぜんしょうぼう)」と称し、僧として修行を積みます。
ただし、当時の比叡山時代の継潤は、いわゆる「荒法師(僧兵)」であったとみられており、武勇はこの頃に培われたとも言われています。
その後、比叡山を下りた継潤は、近江国浅井郡宮部村の湯次神社(ゆつぎじんじゃ)の社僧・宮部清潤のもとに身を寄せ、「継潤」と名乗るようになりました。
清潤の養子になったとみる説もあるとされています。
浅井長政から豊臣秀吉への転身
還俗して武家となった宮部継潤は、近江の戦国大名・浅井長政に仕えるようになります。
小谷城にほど近い宮部城を任されており、浅井家中での立場は決して低いものではありませんでした。
主君・長政に従って織田信長との戦いで活躍し、横山城の城将であった羽柴秀吉と対峙します。
1571年、秀吉の調略に応じて寝返り
転機となったのが、1571年(元亀2年)10月です。
秀吉は浅井攻略の一環として、宮部城主だった継潤に対して寝返りを打診しました。
継潤はその調略に応じ、秀吉の与力となります。
寝返りの証として浅井側の国友城を攻めた際には、銃撃を受けて負傷したと伝えられています。
この調略の場面こそが、大河ドラマ『豊臣兄弟!』第16回で描かれているシーンとなっているようです。
豊臣秀次との養子関係
宮部継潤の名を語るうえで欠かせないのが、のちの関白・豊臣秀次との養子関係です。
継潤は秀吉の調略に応じる際、自身の安全保障として「秀吉側からの人質」を要求したとされています。
4歳の万丸(後の豊臣秀次)が養子に
当時の秀吉には実子がいませんでした。
そこで秀吉が差し出したのが、姉・とも(日秀尼)の長男で、当時まだ数えで4歳だった万丸です。
この万丸こそが、のちの豊臣秀次でした。
万丸は元服後、宮部家で「宮部吉継(みやべ よしつぐ)」と名乗ったとされています。
「吉」は秀吉、「継」は継潤の名から一字ずつ取られたとみられています。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、藤吉郎が姉・ともの子を人質に差し出そうとして激怒される場面が描かれており、この史実をベースにした展開となっています。
中国攻めから九州征伐まで
秀吉の与力となった宮部継潤は、その後も数々の戦場で武功を挙げていきます。
但馬豊岡城主、そして鳥取城代へ
1577年(天正5年)からの中国攻めでは、主に羽柴秀長(豊臣秀長)に従い、但馬国方面の攻略に貢献しました。
1580年(天正8年)頃には、山名氏討伐後に但馬豊岡城主として2万石を与えられています。
続く鳥取城攻めでは最前線に立ち、毛利方の援軍・吉川元春の軍勢と戦い続けました。
1581年(天正9年)10月、その戦功が認められ、因幡国鳥取城代に任じられます。
本能寺の変後、山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いで秀吉の主力が中国地方を離れる中も、毛利氏に対する最前線の拠点・鳥取城を任され続けたことから、秀吉の信頼の厚さがうかがえるとみられています。
九州征伐で「日ノ本無双」と称えられる
1585年(天正13年)の佐々成政攻め、1587年(天正15年)の九州征伐にも参戦しました。
九州征伐では日向国高城における根白坂の戦いで島津家久軍を撃退し、大きな武功を挙げています。
秀吉はこの戦いでの働きを「法印(継潤)事は今にはじめぬ巧者ものなり」と讃えたと伝えられています。
九州征伐後には、因幡・但馬国内で加増され、5万971石を知行するに至りました。
その武勇から後世に「日ノ本無双」とまで称されたとの記録もあるようです。
晩年と宮部家のその後
1590年(天正18年)の小田原征伐にも参陣した宮部継潤は、同年に嫡子・長房に家督を譲りました。
形式的な隠居ではあったものの、政務上での活動は続いていたとされています。
1593年には、改易された大友義統に代わって豊後国の検地を担当し、同じ年には因幡銀山を開いて秀吉から銀山経営を任されるなど、行政・経済の分野でも活躍しました。
1594年には伏見城(指月伏見城)の普請にも参加し、晩年は秀吉の御伽衆として相談役を務めたと伝えられています。
そして1599年(慶長4年)閏3月25日、前田利家を追うようにして死去しました。
享年については64歳・71歳・72歳など諸説あるようです。
息子・長房は関ヶ原で改易
跡を継いだ嫡子・宮部長房(長熙)は、1600年の関ヶ原の戦いで西軍に与して敗れ、改易となりました。
その後、南部利直のもとに預けられ、陸奥南部に流されたと伝えられています。
長房は盛岡で54歳で没したとされ、その次男・宮部長邑の家系が後に赦免されて南部藩に仕え、宮部家の血脈をつないだとみられています。
大河ドラマ『豊臣兄弟!』ドンペイ演じる宮部継潤
2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、お笑い芸人・俳優のドンペイさんが宮部継潤を演じています。
NHK公式によれば、宮部継潤は「浅井長政を支える猛将」として登場し、長政が信長を裏切り朝倉側についたのち、小一郎(豊臣秀長/仲野太賀さん)と藤吉郎(豊臣秀吉/池松壮亮さん)が継潤の調略を任されるという展開です。
ドンペイのコメント
ドンペイさんの大河ドラマ出演は今回が7作目とされ、これまでに『功名が辻』『龍馬伝』『平清盛』『軍師官兵衛』『花燃ゆ』『青天を衝け』『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』に出演しています。
キャスト発表時のコメントでは、「宮部継潤公は、元比叡山延暦寺の僧侶であったという異色の戦国武将。そして、演じる僕は比叡山高校出身なのです。すごいご縁だと感じています」と語っていたそうです。
また「今まで歴史物の映像ではほぼ描かれていないので、なので責任重大です(笑)」と意気込みを述べたともされ、本作で初めて本格的に映像化される宮部継潤への思い入れがうかがえる発言だったようです。
まとめ
宮部継潤は、比叡山の僧から戦国武将へと転身し、浅井長政、そして豊臣秀吉の下で武勇と統治能力を発揮した稀有な人物です。
のちの関白・豊臣秀次を養子に迎えた経歴を持ち、鳥取城代、そして因幡・但馬5万石の大名として豊臣政権の山陰方面を支えた重要人物でもありました。
これまであまり映像化されてこなかった宮部継潤ですが、2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』でドンペイさんが演じることで、その存在感と人物像が改めて注目を集めています。
今後の物語で、継潤がどのように秀吉・秀長兄弟の天下取りを支えていくのか、ますます目が離せない展開となりそうです。

